つくり続ける。とどけ続ける。
ブランドヒストリー
東芝国産一号機物語
もしも、暑い夏の日にも魚や肉を 傷まないようにすることができたら。
もしも、冬の寒い朝にも冷たい水に手を入れずに 衣服を洗うことができたら。
もしも、忙しい朝にも火加減を気にすることなく 美味しいご飯を炊くことができたら。
その時代、時代の暮らしをみつめ、 私たちはひとつひとつ家電の 一号機をつくってきました。
創業以来の想いを胸に、 いま私たちは東芝ライフスタイル株式会社として 新しく歩みはじめています。
技術をつくして、想いをカタチにする。
家電ができることを考え続けます。 今日も、明日も。
私たちは、
東芝ライフスタイルです。
1930|国産第1号の電気冷蔵庫
1930(昭和5)年に国産第1号の家庭用電気冷蔵庫(SS-1200)が完成。
当時「日本の技術力では、開発は無理である」ともいわれていましたが、研究開発の末、1930年にモニタートップ型の電気冷蔵庫(SS-1200)を完成させました。日本初の電気冷蔵庫は、容量125Lで157kg。銀行員初任給が約70円の当時、720円という高価格商品でしたが、電気冷蔵庫の食品保存性能と製氷機能は、日本人のライフスタイルを大きく変えていきました。
1930|国産第1号の電気洗濯機
1930(昭和5)年に国産初の撹拌式電気洗濯機 "ソーラー(Solar)"の製作を開始。
最先端技術を駆使した国産第1号の撹拌式電気洗濯機「ソーラー(solar:太陽の意)」は、1930年に370円で芝浦製作所(東芝の前身)から発売されました。洗濯容量は6ポンド(約2.7kg)。その後の開発努力によって一般家庭に普及。電気洗濯機は、重労働だった「たらい」と「洗濯板」の洗濯作業から家庭の主婦を解放するきっかけになったといわれています。
最新の洗濯機
「ウルトラファインバブル洗浄」搭載。
約100億個の泡※1と洗剤のチカラで繊維の奥の汚れを落とすから、1年後の白さ※2が違います。
※1 個数濃度約100万個/mLのウルトラファインバブル水を2kg標準コースで約18L使用した際のウルトラファインバブル(気泡)の総個数。個数濃度は洗濯機に給水される水中の気泡粒子分布をナノ粒子トラッキング法により測定。(ウルトラファインバブル水の使用水量は水位によって異なります。水道水圧など条件によって総個数は異なります。)
※2 当社調べ。週1回6カ月着用し、6カ月相当保管した場合のウルトラファインバブル水と水道水の標準コースでの比較
1931|国産第1号の電気掃除機
1931(昭和6)年に日本初のアップライト型真空掃除機(VC-A型)を発売。
GE社製をモデルに芝浦製作所(東芝の前身)が開発、1931年に110円で発売した日本初のアップライト型真空掃除機VC-A型。この「ほうき」に代わる1号機は、軽く押すだけで掃除できるように、吸込用床ブラシとモーターが一体化した先端部に走行車輪がついていました。さらに柄の角度を変えられる工夫など、現在の商品に繋がる機能が搭載されていました。
1955|国産第1号の自動式電気釜
1955(昭和30)年に完成し特許を取得。
自動式電気釜は、東芝家電部門の松本部長から相談を受けた協力会社の株式会社光伸社により1955年に発明されました。開発に要した3年間は困難を極めたものでしたが、発売から4年後には全家庭の約半数に普及。タイムスイッチを使って指定した時間にご飯が炊ける電気釜の出現は、主婦の家事労働を大幅に軽減し、生活様式にも大きな変化をもたらしました。
1959|国産第1号の業務用電子レンジ
1959(昭和34)年に国産第1号機を完成。
1959年に国産第1号機が完成した電子レンジは、翌年に開かれた大阪国際見本市で注目を集め、市販第1号機を1961年に発売しました。その後国鉄の食堂車に採用され、新幹線の開業当時からビュッフェで温かい本格的な料理を提供しました。1965年に発売された業務用普及型は、一般のレストランで広く利用されるようになり、家庭用の需要も伸びていきました。
1961|国産第1号のスプリット形ルームエアコン
1961(昭和36)年に日本初の「CLU-7I」(室内機)と 「CLU-7H」(室外機)を発売。
日本初のスプリット形ルームエアコンは、1961年4月に東芝が発売した「CLU-7I」(室内機)と「CLU-7H」(室外機)でした。その後、新機種の開発を進め、冷房機能だけのルームクーラーから、冷暖房兼用のルームエアコンへと進化を遂げ、年間を通じての空調機器となりました。